ふたりぼっちのリサイタル
(過去の日付に遡って投稿することがあります/最新投稿日の2~5個くらいが最新の投稿になっていることが多いです)
黎明を切り裂いて葬送
2020.09.26 (Sat) | Category : 小話
「人間は関係性の中でしか生きられない」
荻原はそう言ったけれど、じゃあこの関係は何て言えばいいのだろう。友人と呼ぶほど親しくもないし、恋人と呼べるほど愛しているわけじゃない。幼馴染というほど付き合いは長くないし、ただの知人と呼ぶにはあまりにも知りすぎていた。
「え?」
疑心と否定を含んだ声色は冷たい空気の中で溶け切らずに残った。コーヒーの底に残る砂糖みたいなざらざらとした後味の悪さは多分後悔によく似ていた。
彼は同業者、いや、感覚としては共犯者に近い。私も彼も互いの弱みに付け込んで相手を利用しているくせに、相手のためだと言い聞かせて思考停止を手伝っている。
短所はひっくり返せば長所になるだなんてよく言うけれど、冗談はよしてほしい。短所はどこまでいっても短所なんだって、諦めの早い自分達は知っている。それは絶望なんて大層なものではない。そもそも望みのある選択肢が最初からなかっただけなのだ。諦めるのが一番楽で、きっと一番苦しくない。
殴った時に手がじんじんと痛くなるのが好きだった。手に熱が集まってしびれるみたいに熱くて、外気との温度差が心地いい。確かめるみたいにもう一回手をあげる。今度はパァンと高い音が弾ける。特に何の落ち度もなく殴られた彼は赤くなった頬を手で押さえて静かに私を見上げた。人形みたいな透明感のある瞳が逃げるように揺らいで、支配に怯える彼の姿に私は少しだけ興奮していた。
父親に似て暴力を振るうことでしかストレスを表出できない私と、母親の影に囚われて殴られることでしか愛情を確かめることができない彼と。馬鹿なのはどっちだろうね。
彼の頬は赤くて痛そうだったけれど殴った私の手だって痛かった。だから平等だなんて言わないけれど、でももう沢山だ、沢山だった。弁解に言い訳を重ねすぎて、誰に何を言いたいのかすらわからなくなっていた。
「……常識的にさ、殴るのはいけないことだって、知ってはいるんだけれど、どうもいまいち理解できないんだよね」
「そうそう。最初から手段に『暴力』のコマンドがあるもんね、僕ら。別にいいけど」
乾いた笑いで荻原が同意した。
「でも普通はないらしいじゃん?」
「普通がいい?」
「普通がいいでしょ」
間髪入れずに返したら、そっかと言った荻原の声は悲しそうで、消えそうなくらい弱々しかった。
「じゃあなくす?」
「は?」
「今まで僕たちを縛り付けてきた散々な記憶を、思い出を、殺して……弔い、悼もうか」
「……なんで、そんなことできるの……?」
それは今までの私達を根底から否定することに違いなかった。もしも私達を形成してきた『過去』が死んでしまったら、私は、君との関係は。
痛いくらいに眩しい朝日が全てを平等に照らす。薄水色の空が薄らいで明るくなりだして、うすぼんやりと残る白い月が消えかけていた。私達を包んでいた夜が朝に殺されて、静かに死んでいく。
「小夜ちゃんが手をあげたら、今度は僕が殴ってでも止めてあげるから」
ふふっと笑った荻原の頬は不自然に片方だけが赤く腫れていて、彼に手をあげられるところを想像して息を呑んだ。これまでの自分がしてきたように、叩いて、突き飛ばして、首を絞めて、全力で存在を否定されたら、私はきっとそれを愛だとは思わない。
「それって暴力じゃん」
「ああそうか、殴っちゃいけないのか。難しいね人間」
「難しいね」
朝が来る。暴力に頼ることのできない、新しい朝が来る。
暴力への正しい解答も、君との関係性もいつまでもわからないから、わからないけど一緒にいようよ。
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